2月16日(日):礼拝メッセージ

2月16日 礼拝メモ          

マタイの福音書16章24節 (説教)朝比奈悦也牧師

「聖書が教える真の信仰」

 

 今年の伝法教会の年頭聖句は、「信仰の善き戦いを戦え。」です。私たちは毎週、信仰について知り、学び歩むため礼拝を守っています。弟子ペテロは、イエス様の質問、「わたしをだれだと思うか。」について、「あなたは生ける神の子キリストです。」と答え、褒めていただきましたが、その後、イエス様が今後の事について話されたことを否定して、イエス様から、「下がれサタン。・・・」とお叱りを受けました。イエス様は、「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。」と言われます。この御言葉から、聖書が教える真の信仰を学ばさせていただきます。

 

1、イエス様に従う信仰

 「従う」という事は、人間が生きていく上でなくてはならないことです。日本国民として、日本国憲法に従うこと、会社、学校ではその規則に従う事が必要です。イエス様に対しても従うことが大切です。ですが、従っても裏切られることがあります。イエス様は裏切らない、私たちが信じて最も確かな御方です。イエス様に自発的に、自主的に従う信仰です。

 

2、十字架を負ってイエス様に従う信仰

 十字架を負うことは辛く苦しいことですが、これは私たちにとって必要なことで価値のある避けてはならないものです。辛く、苦しい中で鍛え上げられ、つくりあげられ、成熟するのです。物事を本当に立てあげようとすることは、そこにいつでも十字架を負うことが伴います。世の様々な事の中で、あなた自身が強化され、つくりあげられます。しかしイエス様は、私たちが負いきれない十字架は負わせなさいません。試みとともに脱出の道を備えてくださいます。十字架を負ってイエス様に従う信仰です。

 

3、自分を捨て十字架を負いイエス様に従う信仰

  聖書が教える信仰は、偶像信仰ではありません。ですが警戒すべき私たちの最大の偶像は、私たち自身であります。神様を信じる、従うと言っていながら、自分の願い、都合が第一になっていないでしょうか。アブラハムはその子イサクをささげました。マリヤも己を捨て救い主を身ごもりました。イエス様は、己を捨て十字架の道に歩まれました。これが聖書が教える真の信仰です。

 

 私たちも聖書が教える真の信仰を歩ませていただきましょう。