2020年2月23日(日):礼拝メッセージ

2020年2月23日 礼拝メモ          

  イザヤ書61章 (説教)松尾信子牧師

「主にあって楽しみ喜ぶ」

 

 イエス様は、会堂でイザヤ書の巻物が渡された時、61章を開かれ朗読されました。(ルカの福音書4章)そして「あなたがたが耳にしたとおり、今日、この聖書のことばが実現しました。」と福音の成就を宣言されます。イザヤ書は新約4つの福音書と並んで旧約の福音書と言われますが、61章を見ながら、10節にあるように主にあって私たちが福音を楽しみ喜ぶことを具体的に見させていただきたいと思います。

 

1、イエス・キリストを楽しみ喜ぶ

 主にあって楽しみ喜ぶことは、一つは、イエス・キリストを喜ぶことです。イザヤ書はイエス様が誕生される700年以上も前に書かれた書ですが、そのご生涯が具体的に示されていることを見ることができます。

「神である主の霊がわたしの上にある」→聖霊によって誕生されたイエス様。「貧しい人に良い知らせを伝えるため、心の傷ついた者を癒やすため」→会堂で教えられ、福音を宣べ伝えられ、人々の病、わずらいを癒やされたイエス様。「主はわたしに油を注ぎ、・・・」→メシア、キリスト(油注がれた者)として神さまから遣わされた御方。「主の恵みの年、われらの神の復讐の日を告げ、・・・」イエス様によって実現した救いのしめくくり(さばき)の預言とともに、イエス様の再臨の希望があることを私たちは楽しみ喜ぶことができます。

 

2、主の救いと主の義を喜ぶ

 罪の奴隷にあったお互いが、イエス様の十字架の購いによってそこから解放され、救いをいただき、主の義(正しさ)を楽しみ喜ぶように変えられました。「灰の代わりに頭の飾りを、嘆きの代わりに喜びの油を・・・昔の廃墟を立て直し・・・」(3,4節)また捕囚のイスラエルとその解放の預言を通して、主の救いの希望を感謝をもって喜ぶことができます。

 

3、生きる目的、使命と将来について喜ぶ

  主の救いを頂いて生きる目的と将来に対しての希望をもつことができるようになりました。10,11節の箇所は、黙示録でヨハネが預言として引用していますが、救いを頂いたお互いが預言者のように証し人として生きる喜びが与えられています。そして、永遠に対する希望、特に主イエス様との復活の再会を、希望を持って生きる幸いを与えられました。

 

 不透明なこの世の動きの中で、時を越えて変わらない主イエスさまがいつもいてくださることを楽しみ喜びながらこの週も歩ませていただきましょう。